前橋地方裁判所高崎支部 昭和42年(ワ)58号 判決 1969年2月10日
原告
広瀬清三郎
ほか一名
被告
宮下工業株式会社
主文
被告は原告らに対し各金五九五、一七五円及び之に対する昭和四一年九月一五日以降完済に至る迄年五分の金銭を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は之を五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は原告らが各金一五万円の担保を供するときは、その勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
(当事者の申立)
一、原告ら
被告は原告らに対し各金一、〇〇二、七二五円及び之に対する昭和四一年九月一三日以降完済に至る迄年五分の金銭を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
右判決及び仮執行の宣言を求める。
二、被告
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。
(当事者の主張)
第一、原告らの請求原因
一、昭和四一年九月一三日午後六時頃訴外佐藤定雄が自己所有の普通貨物自動車を運転し高崎市下大島町五〇一番地先県道上を西方(室田方面)に向つて進行中、前方注視の義務を怠つた過失により、その左前方を同一方向に自転車で進行中の広瀬美佐子に右自動車を接触させて同人を道路上に顛倒させ、頭蓋骨々折等の傷害を負わせた結果、翌九月一四日午前〇時五三分同人を死亡させた。
二、被告は土木建築請負業等を営む会社であつて、その被用者たる佐藤定雄が、被告会社で稼働する労務者を運搬する為之等を乗せて右自動車を運転中本件事故を惹起したものであるから、右は被告会社の事業の執行に付き加えた損害として、被告は民法第七一五条による使用者として賠償の義務あることは勿論、なお自動車損害賠償補償法第三条にいう自己のため自動車を運行の用に供する者としてその賠償責任を免れないのである。すなわち、
(イ) 本件事故は、佐藤の運転する加害車両が被告の指示により、被告が雇傭する労務者を同乗させ、これを自宅まで運搬する途中で惹起されたこと、
(ロ) 当時佐藤は右車両を使用して殆んど専従的に被告の雇傭する労務者の送迎にあたつていたが、土木建築請負業を営む被告としては、その事業に必要な労務者を確保する為、之を輸送することは被告会社の事業を円滑に遂行するについての不可欠の仕事であつたこと、
(ハ) 佐藤の運転していた右車両は同人の所有であつたが、之による右労務者の輸送は反覆継続して行われ、又そのほかにも被告会社の建築用の資材を命により運搬する仕事に従事しており、右車両による輸送の業務は被告会社の企業組織に包摂されその一部門を形成していたということができるので、佐藤の行う右輸送の業務は被告会社の指揮命令の下にあり且つ被告はその利益を享受する立場にあつたこと、
以上の理由により被告は右車両の運行供用者として、本件事故により生じた次のような損害の賠償責任がある。
三、損害
(一) 亡美佐子の得べかりし利益の喪失
美佐子は昭和二六年一二月一〇日生れで事故当時満一四才九ケ月の健康な女子であつて、満一四才の女子の平均余命は五七、九二年であるから、本件事故に遭わなかつたなら、なお右期間生存するものと推認できるので、その間に、一七才から向う四四年間群馬県内の事業所に就労して収入を得ることが可能であつた。そして労働大臣官房労働統計調査部編労働統計年報昭和四〇年中の全産業女子労働者の平均給与額による、昭和三九年群馬県下における全産業女子労働者が毎月定つて受ける平均現金給与額は別表の通りであるから、美佐子は前記稼働可能期間内に、毎月少なくとも右程度の給与を受け得る筈であつた。そして右収入を挙げるに要する生活費の割合を五割として収入額より控除した純収益を向後四四年間に亘り得べかりしものであるから、その総額からホフマン式により年毎に民法所定の年五分の中間利息を控除した現在価額は金二、二五五、四五〇円となり、亡美佐子は同額の損害を蒙りその賠償請求権を取得した。
(二) 美佐子の慰藉料
美佐子は事故当時中学三年に在学中で、健康で真面目に勉学に励み成績も上位にあつて、人生もこれからという時期に本件事故に遭い生命を奪われるに至つたもので、その無念は筆舌に尽し難いものがある。よつて之を償うに足る慰謝料の額は金五〇万円であり、美佐子は同額の請求権を取得した。
(三) 原告らの慰謝料
美佐子は原告清三郎、同さわの末子で、学業成績もよく思いやりのある優しい子であつたので、原告らは深く愛情を注いで育てて来ただけに、本件事故により同女を喪つて心から落胆し、甚だしい衝撃を受けたのであつて、原告らは各金五〇万円の慰謝料請求権を取得した。
(四) 本件事故により生じた損害賠償請求権は以上の通りであるが、その内亡美佐子が取得した前記(一)及び(二)の権利は、その相続人(父母)たる原告らにおいて各二分の一の割合で承継取得した。
ところで原告らは先に自動車損害賠償責任保険金七五万円宛を受領したので、之をそれぞれ前記(一)の債権の弁済に充当した。
そのほか原告らは訴外佐藤定雄から金一二五、〇〇〇円宛の示談金を受領したので、之をそれぞれ前記(一)の債権の弁済に充当した。
四、よつて原告らは被告に対し、前記(一)の債権二分の一宛を承継取得した各金一、一二七、七二五円から右弁済充当額を控除した残額金二五二、七二五円と前記(二)の相続分各金二五万円及び前記(三)の各金五〇万円を加えた合計各金一、〇〇二、七二五円と之に対する本件不法行為の時である昭和四〇年九月一三日以降完済に至る迄法定の年五分の遅延損害金の各支払を請求する。
第二、被告の答弁
一、原告ら主張の一、の事実は不知。
二、同二、の事実中被告が土木建築請負業等を営む会社であることは認めるがその他は否認する。
三、同三、の(一)及至(三)の原告らの主張はすべて争う。同(四)の事実は不知。
〔証拠関係略〕
理由
一、〔証拠略〕を総合すれば、昭和四一年九月一三日午後六時頃訴外佐藤定雄が普通貨物自動車を運転して高崎市下大島町五〇一番地先県道上を時速約六〇粁で西方(室田方面)に向つて進行中、その左前方約二〇米の地点を自転車に乗つて同一方向に進行中の広瀬美佐子(当時一四才)を発見したが、そのまま自転車を追越そうとして進行を続けるうち、自転車の後方約一六米に接近した際、美佐子が右側方の道路に入る為右折しようとして急に県道の中央辺に斜に出て来たので、急制動して停車しようとしたが間に合わず、前記貨物自動車の左前部を自転車に衝突させて同女を路上に顛倒させ、脳挫傷等の傷害を与えた結果翌一四日午前〇時五三分広瀬美佐子を死亡させたことが認められる。
二、被告が土木建築請負等を営む会社であることは争いがないところ、〔証拠略〕を総合すれば、佐藤定雄は被告会社の工事現場に日雇人夫として雇われ、昭和四一年六月頃から同年一一月迄の間継続して稼働していたものであるが、傍ら被告会社の指示により、毎日現場に必要な労務者を集めて自己の所有する貨物自動車に乗せて之を現場に輸送し、仕事が終つた後には再び労務者を右自動車に乗せて輸送し帰宅させるという仕事に従事していたこと、土木建築請負を業とする会社にとつて、現場で必要な労務者を確保する為、毎日之を集めて輸送する仕事はその業務の不可欠の部分であつたけれども、当時被告会社には之に専従する自動車が無かつたところから、佐藤にその所有の本件自動車を運転させ右業務を担当させていたところ、昭和四一年九月一三日現場の仕事が終つてから佐藤が人夫を乗せた右自動車を運転して帰宅の途中に本件事故を惹起したことが認められる。
以上認定の事実によれば、佐藤は日雇として被告会社に雇われていたけれども、事実上相当期間継続して、被告会社の指示の下にその業務の遂行に欠くことの出来ない労務益輸送の仕事に従事していたのであつて、之に使用する貨物自動車は佐藤の所有であつたけれども、被告会社と佐藤との間の雇傭関係を通じて、右自動車に対する運行の支配とその運行による利益は共に被告会社に帰属していたものということができるのであり、従つて被告会社は、右自動車の運行供用者として、その運行によつて惹起した本件事故による損害を賠償しなければならないのである。
三、よつてその損害額について検討を進める。
(一) 美佐子の得べかりし利益の喪失
〔証拠略〕によれば、美佐子は昭和二六年一二月一〇日生れで、事故当時は満一四才九ケ月の、中学校在学中の健康な女子であつたことが認められるが、統計によれば満一四才九ケ月の女子の平均余命は約六〇年であるから、美佐子が若し本件事故に遭遇しなかつたならば、なお右期間生存し得たものと推認することができる。
ところで現在中学校に在学中の女子の将来において得べかりし利益を推計し得るかどうかの問題であるが、女子は適令期に結婚し、以後は家庭の主婦として家事を担当するのが通常の事例であり、しかも家事労働はその性質上対価を受けるものではないから、之を金銭的に評価することはかなり困難であることを否定できない。
しかし乍ら近年学校を卒業した女子が事業所等に勤務して給与を得ること多く、結婚後も職業に留まる例が稀ではないのみならず、一旦結婚退職した後再び職業に就くことも無いことはなく、このように同一の女子が同じ労働能力を有し乍ら、主婦である期間のみ何らの経済的価値を生み出し得ないとする理由に乏しいのであつて、この事は妻の家事労働が離婚の際の財産分与において相当の評価を受けることに照しても理解されよう。
さて前掲証拠によれば、美佐子は事故当時中学三年生であつたが、進学を志望し将来は就職する希望を持つていたことが認められるので、事故に遭わなかつたならば、学校卒業後の二〇才から満六〇才になる迄の四〇年間職業に就き給与を取得し得べかりしものと推認するに難くない。そしてその給与の額は、特段の事情の認められない本件においては、一般の女子労働者の平均的給与額により之を推算するのを相当とするところ、原本の存在及び成立に争いない甲第一一号証記載の、労働大臣官房労働統計調査部編「労働統計年報昭和四〇年」中の全産業女子労働者の平均給与額における、昭和三九年の群馬県下全産業女子労働者が毎月定つて受取る平均現金給与額は別表の通りであつて、美佐子は前記期間中その年令の推移に応じ毎月少なくとも右程度の給与を取得しうるものと推認すべく、その間に支出する生活費は一般の経験に従い月一万円、年計一二万円として之を控除し、その残額を純収益として之を毎年取得しうるものとし、ホフマン式により年毎に民法所定の年五分の中間利息を控除してその現価を求めれば金二、〇四〇、三五〇円となり、美佐子は本件事故による死亡のため同額の損害を蒙つたということができる。
(二) 美佐子の慰藉料
前掲証拠によれば、美佐子の死亡による本人の慰謝料請求の事情については原告ら主張の通りであることが認められる。
尤も前認定のように、本件事故発生の際、美佐子は自転車に乗つて加害自動車の左前方を走つていたが、右自動車の直前を横切つて右折しようとした為右自動車に衝突したのであつて、このような危険な行動が本件事故の発生に繋がつたものというべきで、かような事情を含めた一切の事情を斟酌して、美佐子の請求し得る慰謝料額は金三〇万円を相当と認める。
(三) 原告らの慰謝料
前掲証拠により、美佐子の死亡による慰謝料を請求する事情は原告ら主張の通りであることが認められるが、他方本件事故発生の際の前認定の具体的事情を含めた一切の事情を斟酌して、原告らが請求し得る慰謝料額は各金三〇万円を相当と認める。
(四) 以上の損害賠償額を通算するに、原告らは亡美佐子の父母であるから、美佐子の前記(一)、(二)の各半額の権利を相続により取得したから、之と(三)の各自の権利とを合計すると、各金一、四七〇、一七五円の賠償請求権を取得したのである。
(五) 〔証拠略〕によれば、原告らは既に自動車損害賠償責任保険金七五万円宛と、訴外佐藤定雄からの示談金一二五、〇〇〇円宛を受取り之を前記(一)の賠償金の一部に充当したことが認められるから、之を控除すると、なお各金五九五、一七五円の損害賠償請求権を有することとなる。
四、次に原告らの請求する右賠償金は美佐子の死亡を原因とするものであるが、前認定のように、右死亡の日時は昭和四一年九月一四日午前〇時五三分であるから、被告の支払遅滞による年五分の損害金の起算日は、その翌日の同年九月一五日ということになる。
よつて原告らの本訴請求は、被告に対し各金五九五、一七五円及び之に対する昭和四一年九月一五日以降完済に至る迄年五分の法定利率による金銭の支払を求める部分に限り正当として認容し、その余は失当であるから之を棄却することとし、主文の通り判決する。
(裁判官 小西高秀)
別表
<省略>